そよ風のつぶやき

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京都五山の送り火、「大文字焼き」と呼ぶのは間違い?!

大文字焼き」と聞いて、京都で行われる

京都五山送り火」を連想しませんか?

特に関東地方出身のあなたなら、催しそのものを「大文字焼き

と呼ぶことに対して違和感はありませんよね?


しかしそれって、実は間違えだったんです!

昔は地元の方でも「大文字焼き」とよぶ人は

多数いたみたいなのですが…。

京都五山送り火」の意味を知れば変わるかもしれません。

 

京都五山送り火」の意味、そしてはじまりは?


8月16日の夜、京都の山々に「大」「妙」「法」「船形」

「大(左大文字)」「鳥居形」の大きな形の火が点きます。

 

この火には「お盆にお迎えしたご先祖様の魂を、

再びあの世へお送りする」という意味が込められています。


はたして誰が何のために始めたことだったのでしょうか?

一番有名な「大」の送り火

最初に点火される文字です。

 

始まりは平安初期、空海という改法大師が送り火の法要を

始めたことが、きっかけとされています。

 

大師を祀った小さな堂舎が山に建立され、

「大師堂」とよばれています。

「大」は大師や大師堂からとったとされています。


しかし「大」の始まりには沢山の説があり、

古文書や資料も出てきているため、確実なことは

わかっていません。


「妙」「法」の送り火は2つ文字がありますが、

2つで1セットとされています。

 

1307年(徳治2年)松ヶ崎村の村民が日蓮宗

改宗したとき、日蓮宗の2人の僧侶が「南妙法蓮華経

から字を取り、始めたことがきっかけとされています。


「船形」の送り火は、847年(承和14年)西方寺を

創った慈覚大師円仁(じかくたいしえんにん)が、

唐(中国)からの渡航中、暴風雨という自然の驚異に

襲われました。

 

その時「南無阿弥陀」と唱えたところ、暴風雨は

おさまり無事に帰れたことがきっかけとされています。

 

あとから点火される「大」左大文字とよばれる送り火は、

1673年〜1681年「山城四季物語」に記述が

見つかったため、はじまりは1673年〜1681年位

とされています。


また御所から見て左にあるため、左大文字とよばれているそうです。

*御所:天皇などが住むところ

 

「鳥居形」の送り火は、なぜこの形になったのかを含め、

詳しいことは、分かっていません。


京都五山送り火の始まりは分からないことが

沢山ありますが、人々の信仰を元に始められ、

先祖の魂を送るという、お盆の大切な伝統行事

として現代に受け継がれています。


知っていると見方が変わる?それぞれの特徴!

 

「大」が一斉点火なのに比べて、「大(左大文字)」は

筆順通りで点火していきます。

「鳥居形」は他と違い、親火から火を移した松明(たいまつ)

を持って、一斉に走り各場所に立てるという点火方法です。


鳥居の柱にあたる部分はベテランが担当し、

縦の走りとよばれています。

笠木にあたる部分(横向きの部分)は若い方が担当し、

横の走りとよばれています。


また、材料に松が使用されているため、松ヤニの影響で

火の色が他とは若干異なり、オレンジ色をしています。

 

「船形」の舳先の部分(船の前の部分)は西方浄土

指していると言われていて、精霊船の意味も込められています。

それぞれの特徴を知ったうえでみるとまた違った見方が

できると思います。


送り火の消炭は、疫病除け・魔除けに


コップなどに送り火の明かりを映して飲めば、

中風にかからないという言い伝えもあります。

*中風:脳出血などによって起こる半身不随や

手足の麻痺などの症状のこと


また各送り火には保存会があり、この大規模な

伝統行事を守り続けています。

 

古くから人々によって受け継がれ、守られてきた

京都五山送り火」には「焼く(やく)」という

意味合いはありません。


大きな火文字が焼かれているという”風景”だけをみれば

大文字焼き」というのも間違いないのかもしれませんが、

その背景にある人々の思いや願いを知り”情景”として

みたとき、相応しくないように感じました。